反射炉の目の前に、醸造所直送の反射炉ビヤを味わえるブルワリーが営業しています。

ビール造りの伝統と革新、伊豆韮山の地域性にこだわる

江戸時代末期、伊豆韮山で代官を務めた江川太郎左衛門英龍が発案した反射炉の建設。清(現在の中国)沿岸地域で1840年に勃発したアヘン戦争への危機感から、国防のために鉄砲を鋳造する反射炉が必要だと提言したのです。新しい技術に着眼した太郎左衛門はその先見の明が高く評価され、伊豆韮山の一代官でありながら幕府に入閣するほどの出世を果たしました。

1857年に韮山反射炉が完成し、1864年まで実際に大砲が鋳造されるも、明治維新を経て伊豆韮山反射炉は短い役目を終えます。やがて幕府直営から江川家の私営となり、明治維新が起こると陸軍省による補修工事を実施。1922(大正11)年に史跡指定され、内務省に移管されました。その韮山反射炉の目の前で製茶業を運営してきた蔵屋鳴沢は、明治時代、良質な湧き水を利用して日本酒を製造する酒蔵として、そして、韮山反射炉を訪れる観光客をもてなすために茶店も開店しました。

1994年に酒税法が改定されると、小規模業者でもビール市場に参入できるようになりました。美味しいビールを提供すれば、韮山反射炉を訪れるさらに多くの方々に喜んでいただけるのではないか。そう考えて創設されたのが、反射炉ビヤです。未来を見据えて新しいものを取り入れた太郎左衛門の見識への敬意を込め、伝統と革新を両立しながらビールを造り続ける意思を反射炉ビヤの名に表現しました。

ブルワリーと隣接する茶畑で、春と秋には茶摘衣装を着用しての茶摘み体験も受け付けています。

個別のビールの名前にもこだわりがあります。反射炉ビヤのフラッグシップビールとも呼べるのが、イングリッシュペールエールの「太郎左衛門」。幕末の時代に先見の明があり、地元の人々を思う気持ちにも溢れる名代官にちなみ、飲めば飲むほど味わい深くなるビールにその名を頂戴しました。

鎌倉幕府を築いたのちに半生を伊豆で過ごした源頼朝にちなみ、英国スタイルの黒ビールであるブラウンポーターに「頼朝」の名を、米国クラフトビールブームの旗印となったアメリカンペールエールには、一介の素浪人から戦国大名となった北条早雲の「早雲」の名をいただきました。

伊豆韮山に生まれ育ち、のちに頼朝と結ばれた北条政子に由来する「大吟醸 政子」、伊豆にゆかりある日本初の西洋式民兵にちなんだ「農兵スチーム」も合わせて、3種類の定番ビールと2種類の準定番としてラインナップされています。クラフトビールを通じて伊豆韮山の深い歴史を伝えるために、地元にゆかりのある人々のイメージをブランディングに活用させていただいたのです。

反射炉ビヤでは20〜30種類のモルトを扱い、その組み合わせによって多様なフレーバーを生み出しています。

色と香りを楽しんでから、舌と喉で味わうのがクラフトビールの醍醐味です。

そして、期間ごとに若きブルワーたちが研究と実験を重ね、新たな味のクラフトビールを期間限定で販売しています。かつて酒造りに用いてきた豊富な良質の湧き水と、ブルワーたちが厳選したモルトとホップ。無ろ過・非加熱によって酵母の生きた深い味わいを楽しんでいただくために、小さな醸造所で特別なビールを生み出し続けているのです。